角田光代「八日目の蝉」を読む。
映画が公開されて、見たいなあと思っていたが、
1人映画時間を作るタイミングがなく…
『優しかったお母さんは、私を誘拐した人でした』
の帯コピーに書かれたように、
生後まもない赤ちゃんと、その赤ちゃんを誘拐した女の物語。
これ、“母”になったから泣けたのだろうか?
私的には、東京タワー オカンと・・・以来の大号泣であります。
babyを抱えながら、またはちょっと寝た隙に・・
2日でなんとか読み終えたのだが、(産後はじめての読書だったかも!)
babyの寝顔を見ながら、
母が子を想う気持ち、ずっと見守りたい気持ち、もう1人ではない気持ち、
抱き上げればしっかり重みのあるそしてぼわっとあたたかく、
ミルクのにおいがする、手や足は小さくパタパタと動き、
見つめればじっと見つめ返してくれ、満面の笑顔で笑い返してくれ、
私のことをすべてわかってくれているのではないだろうか?という不思議な気持ち、
そんなことがぐるぐるとしながら、
お母さんていうのは一体、ほんとに・・・
どんな思いで我が子を見ているというのだ。
実際の母子ではなかった2人、
逃亡なのか、かけがえのない時間だったのか、
幸せなのか、不幸せだったのか、
私は幸せだったようにも思えるのだけれど、
いや、しかし、逆の立場なら…そんなこと考えたくもないなあ。
でもこの、子どもを守るためなら、この時間を守るためなら、
必死に、何がなんでも、なりふりかまわず、どうにかして、何とかして、
そんな姿に、お母さんという生き物にいつの間にかなった、と思われる
女性のすごさと、果てしない愛情とがひしひしと伝わってきて、
それもすべて、子どもによってもたらされたものなのだな、と思い、
今こうして子育てをしている時間も永遠でなくて、
いつの日か、終わりを告げるものでもあって、
でもお母さんとこどもはいつまでも、母子なのだと思った。
う~ん、活字からはしばらく遠ざかっていましたが、
やっぱり読書っていい。
隙を見つければ読めるってことが判明。