4年目の3月11日をむかえました。
リンゴちゃんが産まれてから3か月後に、震災がおこったので、
あれからの4年はリンゴちゃんとともにあります。
あの日、私は赤ん坊のリンゴちゃんと共に秋田におり、
東北はまだ冬の最中という気候で、
素晴らしく晴れた朝の青空や、
暗闇の中の余震、いつなくなるかもしれない水、ガス、食べ物、
じわじわ押し寄せてくる現実や、
絶対にリンゴちゃんを抱いて逃げるぞと殺気立っていた気持ちを
昨日のことのように思い出します。
自分のことは、太平洋側の被災地を思えば
あまりに幸せなそれなのですが、
今の自分の、
家族が何よりもいちばん大事である、
家族や大切な人が生きてさえいれば、その他のことはどうでも、どうにでも、
というある種極限の価値観は、
この4年前のことがきっかけであったのだと
振り返ってみてもそう思います。
不思議なもので、
このときの体験は、
自分自身の物選びにも影響していて、
洋服、食器、暮らしのもの、
あらゆるものを選びとって買うとき、
今まで通り、自分の美意識にあてはまる、よいと思ったもののみを選ぶ傍らで、
服なら身体を包みさえすればよい、
食器なら食べ物がおさまりさえすればよい、
機能さえ果たしてくれれば、あればそれでこと足りるという、
対極にあるような気持ちも、根底に確実にあって、
カワイイやら、センスよいやら、そういったことは
本質の上にちょこんと乗っかっているもので、
今の自分には時に意味がないことだ、と感じたりもするのです。
震災と、出産という
劇的なことが合わさったことで、
本来自分が持っていることや性質はおそらく変わらないながらも、
4年たった今も、ゆるやかに問い直すことを続けているのだなあと、
あらためて感じたこの日。